僕が会社を訴えたわけ3
僕が退職を決意したわけ
毎日27時過ぎの生活をしているとだんだんと精神も病んできます。具体的には朝の10時に出社しまして、そこから朝礼。昨日の帰りに他部署の方に頼んでいた仕事の具体的な内容をぺこぺこしながら頼みます。13時過ぎまで当日夕方までの仕事を片付けて外回り。
19時頃に帰社して夕食タイム。20時頃にまた外回りを2時間ほど。戻ってから23時から日が変わるまでは直近の仕事。それから全て完了してからクライアントからの依頼物の処理。26時頃に仕事を他部署へ振って自分の仕事を2時間ほど。
コンビニに寄って家に帰りつくのが早朝の4時。そこからお風呂、食事で5時に寝て、9時に起きる。まさに奴隷のような生活を3年ほど送っていました。
最初はすぐさま病んで仕事を退職する人を、憐れんだり嘆いたりする余裕もありましたが、2年を超えるころには感情はすり減っていました。3日来たら2週間はくる。3週間来たら3ヶ月くる。3ヶ月来たら半年くる。新人を見てもそんなことばかり考えていました。
休日も目が覚めると15時過ぎ。起きてぼーっとしたら1日終わるような生活をしていました。また何かあるとすぐに電話で呼び出されるので、呼び出し音が鳴る度に胃が痛くなる思いをしていたことも覚えています。
決意した瞬間は意外にも
僕は入社時に少なくとも3年、長くて5年経てば違う仕事に就くと親に向かって宣言していましたので、辞めようと思えばすぐ退職していたと思います。それでも退職しなかったのはいくら会社の仕事内容がクソでも、奴隷のような生活をしていても、社員のみんなと仲が良かったからです。いうならばぬるま湯につかってたんです。
そんな僕が決意した瞬間は、意外にも最初に面接をした次長の結婚式のお祝いの席でした。
きっかけは次長が放った何気ない一言でした。
「いやー餅夫はすごいよ!ウチに入社する時に親に報告してる奴なんてあんまいないよ。俺だって、親や今の嫁さんに半年前まで言ってなかったからな。ガハハハ」
その瞬間張り詰めていたものがプツンと切れた感覚がしました。
もうすぐ約束の3年を迎えようとしていたり、営業部への部署替えを勧めらたり、支局長が自殺未遂をしたり、社長が捕まったりといろいろありましたが、間違いなく導火線に火をつけたのはこの言葉でした。女々しいですが裏切られたと思いました。
他人から見れば、考えなしに転職して馬鹿な仕事に就いたと思われているでしょうが、個人的には考え抜いた上での結論でした。学もない、職歴もないペーペーが、夢を見るのに出せるチップはプライドと時間しかありませんでしたから。その自分の覚悟を馬鹿された、価値のないものとしてぞんざいに扱われた気がしたのです。
それから僕が退職の意思を口にしたのは2ヶ月後のことでした。
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ブラック会社時代の主食でした。